TravisJapanの美勇人くん

 

なんでこんなタイミングなのか?

自分でもわからないけれどトラジャとしての美勇人くんの姿が映像として収められた最後のDVDのフラゲ日だから。

なんか、熱くなって。

 

振り返りたくなった。

 

激動の2017年だった。

その割にわたしはまったく現場というものに触れられなかった。行けなかった。

キントレ行けばよかったと激しく後悔しているがもう遅い。

私は大好きなトラジャの中の美勇人くんの勇姿を見ることはもうできない。

 

 

 

私がTravisJapanに出会ったのは2013年。

比較的遅め。

そう、BAD BOYSが始まった頃。

バドボで私は美勇人くんの沼に落ちた。

カズさんに一目惚れしたのがもう遠い昔のように感じる。

美勇人くんの存在を知り、

その流れでTravisJapanに出会った。

 

プレゾンの映像みたり、少クラみたり。

こんなにダンスの揃うグループを見たのは初めてだった。

プレゾンはまだやっていたがこの当時高校生でど田舎に住んでいた私は現場なんて無縁だった。いつか行ってみたいな〜なんて思っていたくらいだ。

その“いつか”が叶ったのは2015年。

 

9人のTravisJapanを初めて自分の目で見たのは近藤真彦さんのツアーだった。

なんとなく、行かなきゃ、という使命感で初めて1人でコンサートに乗り込んだ。

今思い出してもあの時の決心、絶対間違ってなかった。よくやった、自分。

 

初めてだった。衝撃を受けた。

ああ、これがTravisJapanなんだ。

って。

 

コンサート自体が楽しかったとか楽しくなかったとかそんなことはおいといて、私にとっては大事な思い出。

 

 

TravisJapanにいる美勇人くんは楽しそうにかっこよく、踊ってみんなとダンスを楽しんでいるようで輝いて見えた。

美勇人くんの居場所はここなんだなぁって思った。

わたし、このグループにいる美勇人くんが好きだ。このグループ応援していこうって改めて再確認した。

 

 

しかし次の年、2016年3月

クリエ発表

 

あれ?

美勇人くんが2人いる。

 

なんだこれ?

Love-tuneの出現である。

戸惑い、あれ、掛け持ち?

 

美勇人くんが人気になって、活動の場が増えたことは嬉しかった。でも、なんだか不安だった。いつか美勇人くんがTravisJapanじゃなくなっちゃうんじゃないかって。

 

でも美勇人くんはどっちも100でやるって言ってくれた。だから、私もファンとして、美勇人くんについていこうって思いました。

どっちの現場も美勇人くんがそこに立ってる限り応援しようって。

 

 

2016年のクリエは私はLove-tuneの方だけしか行けなかった。でもLove-tuneは良かった。

本当に楽しかった。また美勇人くんの居場所ができたんだって嬉しくなったのも事実だった。

 

そんな中で夏のサマステが発表された。

TravisJapan×SixTONES

Love-tune×SnowMan

テストかぶってしまったのでLove-tuneは諦め、TravisJapanの方だけ行くことにした。運良く5公演も入れた。

運が良かった。

 

この頃、顕嵐ちゃんがTravisJapan表記がなくなってざわざわしていた。

雑誌も8人、

ザワザワ。

 

なんとなく不穏な空気が漂ってた…

 

そう、

私はこれで9人のTravisJapanに会うのが最後になるなんて思ってもみなかった。

 

It’s BAD は泣いた。 ガチで。

 

 

トラジャが8人になった。

 

 

その年の10月のえび座、次の年のアイランドまでは8人だった。

でも、2017年のクリエにひろきの姿はなかった。

 

拡輝がヒロキになった。

 

 

トラジャが7人になった。

 

 

この時ばかりはもう寂しいとか、寂しいとか、

そんな言葉じゃ言い表せないほどだった。

 

どんどん減っていくトラジャを見ながら、

これからどうなってしまうんだろうとばかりだった気がする。

 

それでも、2017年3月と5月のJr祭りで見た美勇人くんはとってもかっこよかったし、

掛け持ちしてるからTravisJapanの美勇人くんから上着を羽織ってLove-tuneの美勇人くんになる姿もその時はかっこいいと思って見ていた。

TravisJapanの上着を着ている肩にLove-tuneのジャケットかけて外周を歩く美勇人くんがかっこよくてたまらなかった。

2足のわらじを履く美勇人くんがみんなに見せびらかせたいほどかっこよくて自慢の自担だった。

 

美勇人くんがいなくなるなんて思ってなかった本当に。

 

2017年の夏だって、キントレのメンバー発表、

まだ名前が2つちゃんとあった。

 

TravisJapan 森田美勇人だった。

 

でも、行けなかった。

わたしは祭りでTravisJapan森田美勇人を見納めてしまった。

 

9月からはTravisJapanに美勇人くんの名前がなくなった。

 

 

トラジャが6人になった。

 

 

ああ、ついに来たか。

そう思った。

それ以外はあまり何も思わなかった。

ただただ、この事実を噛みしめるしかなかった。

 

びっしり揃えられたダンスをガシガシ踊る美勇人くんが見れなくなることか残念で仕方なかった。

 

そして、その後、朝日もいなくなった。

 

 

トラジャが5人になった。

 

 

ショックすぎて涙も出なかった。

 

大好きだった9人のTravisJapan がどんどんなくなっていくのをただただ呆然と眺めていた。

 

 

もしかしたらあれはキセキの9人で、儚い幻の9人だったのかもしれない。

 

少なくともわたしは9人のTravisJapanを2年間も追いかけることができた。

同じ時代に生まれてラッキーだっただけなのかも。

 

 

でも、5人になってもTravisJapanであり続けた

のえるくん、しめちゃん、しずや、うみ、ちゃかちゃん

ありがとう。

そして新しく加わった仲間、松松。

 

加入したのが松松でよかったと、私は思っている。

 

たぶんこの新生TravisJapanの7人も、

キセキの7人なんだろうな〜と思う。

 

 

美勇人くんが愛し、

10代を一緒に駆け抜けて来た TravisJapan。

 

美勇人くんが抜けたからと言って私だってすぐに他人になんて思えるわけない。

脱退してもわたしはTravisJapanが大好きだし、5人でも7人でもTravisJapanの歴史に美勇人くんが欠かせないことはこれから先も変わらないのだから、相変わらずずっと大好きだ。

応援したいと心から思えるグループ。

だから、応援させてください。

 

 

 

 

この記事を書き、TravisJapanのことだけを考えながら、キスマイのDVDを買いに行きました。

再生したら大好きなTravisJapanの森田美勇人がいました。

 

現在は違っても過去はそのまま残ってる

わたしは絶対忘れないです。

TravisJapanに森田美勇人がいたことを。

もちろん、顕嵐ちゃんもあさひも、ひろきも一緒だったことも。

新しいジャニーズJrのファンができたらその子に絶対教えてあげます。TravisJapanの歴史を。

 

 

 

 

 

 

TravisJapanの美勇人くん、おつかれさま。

 

美勇人くん、わたしをTravisJapanに出会わせてくれてありがとう。